俺は子供の頃から釣りを始めた。きっかけは「叔父」の影響である。警察官であった叔父は釣りが好きで、休みの度ゴムボートを引っ張り出し、川へとよく出掛けていた。俺も小さい頃は徐々にその影響を受けていく事になる。
釣り好き叔父の存在
叔父の家と我が家は隣同士だった。堤防は目の前と言う釣り好きには持って来いの環境がそろっていた。あの頃から釣りを通じて色んな事を自然に学び少しずつ人格が創られていったような気がする。
何事にも先生、師匠と言う人が必ず居るもんであり、誰1人人の影響や刺激を受けなかったって人はいない。何の知識も経験も待たない人が、誰からも教わらず自分だけのやり方だけで極める事は、並大抵の事ではない。今は雑誌やインターネットと便利なものがあり、上辺だけの知識は学べても生きた知識とは程遠いものであろう。
よく色んな人達から「師匠は誰ですか?誰から教わったんですか?」と聞かれる事があり、「最初は叔父にチヌを教わり、クロは船長と日南の磯に教えてもらった」といつも答えている。あの当時は今のような釣りのテクニック情報もなく、まして魚釣りをスポーツと捉えてない程釣りはマイナーでもあった。そんな中、身近に頼れる人と言えば船長ぐらいしかいなかった。
しかしながら、当時クロ釣りと言えばカゴ釣りが主流で、「フカセ釣り」をやってる人は周りにいなかった。船長もフカセ釣りについては知るわけもなく、残された道は数少ない釣り雑誌を見てはひたすら試していた。
https://gurenavi.jp/2018/0917215453.html
そんなある日、またとない絶好のチャンスが巡ってきたのだ。
フカセとカゴ釣り
今日はここをお前1人でやってみろ!誰も乗せんから!
船長はなんと俺をA級ポイントに降ろしてくれた。乗り合わせていた他の人達も一緒だと思ってただけに、船長の意外な言葉にみんな以上に俺は驚いた。
船長ありがとうございます!絶大なる人気の磯に1人で釣りができる!
ようやくカゴ釣りから解放された喜びで素直に笑顔になれた。残念そうな顔で荷物を降ろしてくれたお客さんを尻目に俺は1人磯に降り立った。
その後、様々なやり取りの中、納竿の時を迎えてようやく俺の戦いは終わりを告げた。船長が俺に託した想いに応えるために全ての知恵と技を出し切った。磯を洗い流し魚を締めクーラーヘ移す全ての作業を済ませ船を待った。いつもながらの定刻通り船がやって来た。
カゴ仕掛けの釣り客が荷物を取ってくれる。俺は素早く船へ乗り込む。船長が操舵室の窓を開け言う。
お疲れさん、今日は何枚とったか?
(俺の心の声)
いつも釣れたか?なんて聞かないのに、今日はカゴ釣りの客がいるからか。ボーズなんて言葉は口が裂けても言えない。
今日は言葉のプレッシャーをかけてくる船長だった。
12枚やね!
へぇ~まあまあ~やな。
何故か船長は笑っていた。そんな中、カゴ釣り師たちが驚いた顔で
ちょっと見てもいいですか?
俺はクーラーを開ける。
おお~でけぇ~!
と一言発した。
続く…
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